マルク・シャガール展⑥

~愛のリトグラフを集めて~
「マルク・シャガール展」

〈シャガールと画商たち〉

 

「マルク・シャガール展」もいよいよ明日11/27(日)まで。シャガールにまつわるエピソード紹介も今回が最終回です。今回はシャガールの作品を世に送り出した人々であり、私にとっては大々先輩といったところでしょうか。

・アンブロワーズ・ヴォラール(1866~1939)
19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画商。セザンヌやピカソ、ゴーギャンなど印象派からポスト印象派と言われる画家たちを援助し、彼らの個展を開催するなど当時の美術市場に大きな影響を与えた人物です。シャガールは1923年に彼と知り合い、ゴーゴリーの小説「死せる魂」の挿絵(銅版画 107点)や、「ラ・フォンテーヌの寓話」の挿絵(リトグラフ 100点)、などを完成させました。また、彼の依頼で制作を始めた「聖書」(銅版画 105点)はヴォラールの死後1956年に完成しています。

・エメ・マーグ(?~1981)
元々はカンヌの街で版画職人として働いていた人物ですが、ボナールやマティスなどと親交を重ね、1945年にパリでマーグ画廊を開きました。その後ボナールをはじめ、ブラックやミロなどの作品を扱い、パリでも有数の画廊に育てていったのです。彼の最も有名な仕事が1946年に発行をはじめた美術雑誌「デリエール・ミロワール」誌です(1982年まで253号を発刊)。これはマーグ画廊で開催する展覧会に合わせて発行された展覧会カタログでもあるのですが、当時、マティス、ミロ、ブラック、カンディンスキーなど一流画家たちのリトグラフ作品が添付しており、大変豪華なものでした。シャガールもこの雑誌に多くのリトグラフ作品を提供しており、この雑誌に掲載されていたリトグラフは世界中でコレクターズアイテムとして人気を博しています。

・フェルナン・ムルロー(1895~1988)
パリにあったリトグラフ工房「ムルロー兄弟社」の創始者。元々はシャンパンののラベルや広告を製作するリトグラフ印刷所だったのですが、1930年に開催された「ドラクロワ展」のポスター製作を機に注目を集め、マティスやピカソ、ミロ、そしてシャガールらと出会いリトグラフ制作に没頭していきました。画家たちは工房に通い、職人たちと相談しながら納得のいくまで版を重ね、時には常識を越える方法を試みて刷りを重ねました。ムルロー工房は芸術家と職人たちとの共同作業によってリトグラフの創造の可能性を追求する場となっていきました。
シャガールのリトグラフは特にムルロー工房にいた伝説の刷り師シャルル・ソルリエが担当しており、彼の担当したエスタンプはソルリエ版と言われ広く普及しています。シャガールだけでなく、ピカソやマティスなど当時の名だたる芸術家たちの作品を世に広めたムルローやソルリエの功績は近現代美術史において大きな貢献を果たしたと言えます。

(参考 DIC川村記念美術館「ムルロー工房と20世紀の巨匠たち」展)

〈掲載作品〉「エメ・マーグに捧ぐ」(1960年 Mレゾネ№303)