小峰焼の再生①

小峰焼の初見は地方研究史家(以下、肩書きは当時のもの)の石川恒太郎氏によって延べられています。1952(昭和27)年発行の「日向史学」創刊号で、氏は延岡市外南方村字小峰に存在した「皿山」という地名に注目し、現地調査を行い、窯跡を発見したとされています。その後、1963(昭和38)年に、宮崎高等学校郷土文化研究所理事長の永井幹生氏をはじめとするスタッフが発掘調査を行い、その調査報告書が鈴木重治氏と柳田純孝氏によってまとめられています。

1969(昭和44)年には、宮崎日日新聞社紙上に「日向やきもの談義」と題して連載を行っていた、宮崎女子短期大学の篠原勇教授が小峰焼について記しています。さらに同年には地元小峰町に在住する夕刊新聞記者である柴田五橋氏と、延岡市の開業医で古陶磁研究家の小田省三氏によって研究書が出されています。地元に詳しい二人の研究書は、今回の現地調査の基盤となりました。この研究書は翌年、日本陶磁協会が発行した「陶説」にも掲載されています。これらの取り組みの後、1978(昭和53)年に窯跡が延岡市指定史跡となりました。

その後、成果が継承されることなく長い年月が過ぎましたが、2004(平成16)年の「宮崎の陶磁器-その源泉をたどって-」(宮崎県立美術館発行)で小峰焼が紹介されている他、2006年(平成18)年に宮崎考古学会発行の「宮崎考古」の中で宮崎県埋蔵文化財センターの堀田孝博氏と柳田晴子氏が「小峰焼の考古学的再検討」と題して研究内容をまとめ、詳しく報告しています。これらは近年の考古学の成果を生かし、客観性の高い報告書になっています。

泰田久史「小峰焼(延岡内山焼)の復元・再振興について」(2011年)より抜粋

=つづく=