中村研一と中村琢二展 (福岡県立美術館)

先日、福岡県立美術館で開催されている「中村研一と中村琢二展」を観てきました。最近、画家・中村琢二(1897〜1988)が1955年に延岡・高千穂に来た時のことを調べていて、これは是非観に行かなくては!と思い、延岡から福岡まで弾丸日帰り高速バスで鑑賞してきました。

故・中村琢二(1897~1988)。明治30年に新潟県佐渡ヶ島に生まれ、後に愛媛県新居浜市から福岡県宗像市に転居。福岡県立中学修猷館在学中に兄・研一(1895~1967)とともに西洋画を学び始めます。東京帝国大学経済学部を卒業後、やはり兄のすすめで洋画家を志し、安井曾太郎に師事、一水会の創立メンバーとなります。その後文展や日展、一水会で活躍、様々な受賞歴を持ち、1981年に芸術院会員に推挙、翌82年には日展顧問となります。1988年横浜市で死去。享年90歳。その画風は柔らかなタッチと中間色を用いた穏やかな作風で没後30年が過ぎた今でも多くのファンを持ち、やはり2017年に福岡県立美術館で開催された「生誕120年 中村琢二 瑞々しき画布の輝き」展は記憶に新しいところです。

兄弟そろって芸術院会員にまでのぼりつめた画家兄弟。兄である研一の作品も素晴らしいのですが、弟の琢二の明るく優しい色彩、精緻なデッサン、自由で伸びやかな筆致を見ると、絵画という芸術作品に触れる喜びを教えてくれるようです。絵画制作を始めたばかりの初期作品から一水会展などに出展した大作、また晩年まで全国各地を旅して描いた風景画など、大変見応えのある展覧会でした。没後40年近くが経っても、その柔らかなタッチと中間色を用いた穏やかな作風が多くの人々を魅了し続けるのも納得させられました。

中村琢二は1955年の6月と11月の二度にわたって延岡にやってきています。当時の旭化成(株)の工場長であった植木善三郎氏と交友があったそうで、その縁で延岡市を訪れたのだとか。そしてこのとき、旭化成(株)からの依頼で 作品の制作依頼を受け、高千穂に2週間ほど滞在して制作をしたようなのです。その際に描かれたと思われるのが写真の「高千穂風景」F100号です。

1955年といえば、延岡市にあった旧野口記念館が出来た年。「野口記念館」とは旭化成(株)の創始者である野口遵の名を冠して旭化成(株)が建設し、延岡市に寄贈したという当時九州では有数の音楽ホールだったと言われる市民会館です。この建物は2019年に老朽化のため取り壊され、やはり旭化成(株)の支援のもと、2022年12月に新しく「野口遵記念館」として開館しました。その旧野口記念館ができた時から、入口右側の大階段の壁に長らく展示されていたのが、この「高千穂風景」F100号であり、それ以来、60年以上の長きにわたって延岡市民の文化活動を見守ってきた絵画なのです。

そんなこともあり、この延岡にも縁のある中村琢二。市民のひとりとして、この作品を大切に保存し、多くの市民の目に触れるよう投げかけ続けなければなりません。

ちなみに、今回の展示で私が一番気に入った絵は、「三千院の紅葉」(1957年 10号)。秋の柔らかな日に紅葉が映えて、美しい日本の秋を描き出しています。そして画面奥に描かれた二人の人物の後ろ姿が、その穏やかな空気を演出しているようです。あまり赤の色を使わないイメージのある中村琢二ですが、この作品はとても美しい紅葉を描いていました。

もう会期は終了してしまいますが、皆さんもどこかで見かけることがありましたら是非中村琢二の絵をじっくりと鑑賞してみてください。

最後に琢二が残した色紙に書いて残した言葉がとても印象的だったので。

とても美しく、真実の言葉だと思いました。

※美術館内の作品や展示物はすべて撮影可でした。